毎日頑張っている自分がいて、それをわかってくれない子供に対して、
なんで自分はこんなに尽くしているのに、それを察していい子でいてくれないの?
と悲しくなってしまう自分。
自分がこれだけやっているんだから、それに報いてほしいという思いが、
自分の中にあるのは当たり前。
やったら、認めてほしいんですよね。
でも、子供は自分のことばかりで、自分が一生懸命していても、
それに対して、わかっているのかいないのか、自分がお願いしたことも
やってくれない。
そういう自分を手伝ってほしい。大変な自分を助けてほしい。
誰も自分を助けてくれなくて、悲しい。
その思いが溢れて、イライラになってしまう。
自分が全部やらないといけないと思っている。
それをやめてしまうと、子供は悪く育ってしまうんじゃないか。
親として、自分はダメなんじゃないか。
そういう思いが溢れてしまう。
子供が悪いことをしたときは、2度とやらないようにキツくしかる。
でも、子供はすぐに同じことを繰り返す。
自分の話がわかっていないのに、わかったと言っていたのに、
それが守られなくて、イライラ。
そういうイライラは、どんな家庭でも起きていて、
自分だけじゃないということ。
そして、しっかりした親じゃなくても、大丈夫。
子供もちゃんとした行動ができなくても、大丈夫。
そういう思いで、子育てできればどんなにいいか。
自分以外にやってもらうしか、方法はないんじゃないかと
思えさえする。
そういう面で、自分は多めに見る。自分自身を多めにみる。
子供も、多めに見るという視点を加えて行った方が、
子供と一緒に生活するときに、楽になっていくんじゃないかと思う。
いきなり、全てこの考えには当然できなくて、
考え方を変えていくのは時間がかかる。
でもこの苦しさがずっと続くような気がして、
苦しい。出口が見えない。
そういう時に「諦める」という力も必要なんじゃないかと思う。
他の人がいろいろ言ってきたり、自分自身がしっかりしなきゃという
強迫観念に駆られることもたくさん出て来ると思う。
でも、子供も自分も、生活にギスギスした雰囲気を入れるのは、
したくない。
もっと笑って生活できればいいなと思うんですよね。
その一歩目として、「諦める」
しっかりしない。放置する。だめなままにする。
ちゃんとしない。
そういうことをして、自分を叱らない。
他の人に言われても涼しい顔をする。
「しっかりしないという強さ」を手に入れる。
適当に、力を抜く訓練をする。
そういう子育ても大事なんじゃないかと思います。